Servus Akiの疑問に思った各地の話題、食べ物や飲み物、世界各地の都市の疑問を徒然に書き綴ったエッセイです。

オクトーバーフェスト.pngDer Oktober-fest von München

ロマンチック街道Romantische Strasse

ロマンチック街道Romantische Strasse

この写真にも書かれているようにロマンチック街道が日本語で書かれているのはいかに日本人が多いのかがわかる。日本の旅行会社でもこのルートは押さえておかなければならないルートでお客もよく知っているルートだ。かくいう私もこのルートに旅しようとやってきた一人である。このルートはバスや列車でも行けるが、かなりの時間を割いてしまいそうなのでレンターカーの旅に決め込んだ。ルートは、基本的にヴュルツブルクからレッティンゲン、クレクリンゲン 、ローテンブルク 、ディンケルスビュール 、ネルトリンゲン、フュッセン と街道をまっすぐと下ってきた。やはり一番の思い出はローテンブルクとロマンティック街道の終着点フュッセンが一番よかったと記憶している。
元々ロマンチック街道と言う名前は「ローマへの巡礼の道」の意味で、日本人が思っているロマンチックやロマンスとは違う意味である。もちろんこの名前もローマと言う意味から来た言葉なのだが・・・・・
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ハンス・フンメル(Hans Hummel)

ハンス・フンメル(Hans Hummel)

本名ヨハン・ヴィルヘルム・ベンツ(Johann Wilhelm Bentz、ハンスはヨハンの愛称です)。1797年生まれの生粋のハンブルク人で、Grossen Drehbahn36番地に住み、1854年に亡くなる。彼(Hummel)の職業は水運び。職業的にはかなり低く見られていたようで子供達も彼の事をからかって「フンメル、フンメル」と声をかけてました。重い水桶を担いで忙しいハンスは「モアス、モアス!(方言でお尻という意味だそうです。要するにスラングですね)」とだけ答え子供達に言い返したのですがそんな事では子供達は怯みませんよね。こんなやりとりが、いつのまにかハンブルク特有の挨拶にまでなったのです。
1845年にハンブルク市内に上水道網ができる以前は、水運びという仕事が成り立っていましたが、勿論かなりの重労働だったに違いありません。でもどうして街中に人形が置かれるまでに、ハンブルクのシンボル的な存在になっているのか?という疑問が当然沸いてくるでしょう。
その理由は、先ほどのようにこの言葉がハンブルクの方言になるくらいの挨拶言葉となり、このハンブルクでの挨拶用語が「フンメル、フンメル!(Hummel, Hummel!)」、「モアス、モアス!(Moas, Moas!)」になり、語源となった彼のこの像ができた訳です。
2004年、芸術家たちによりペイントされたフンメルの像が100体作られ、ハンブルクの大通りに展示されました。そしてこれらは競売に掛けられ、その多くが個人の所有物となっています。しかし、まだ市が所有しているものもあり、それらが中心部のいくつかの場所に残っているのです。
私もちょうどこの頃ハンブルクにいてこの写真を撮った訳ですが100体すべては撮れませんでしたが今はもう数が少なくなっているという事で60数体の貴重な写真になりました。
Servusakiのハンス・フンメルのページ
ハンス・フンメルのオフィシャルサイト:http://www.hanshummel.de

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